第5章 日本人とホタル

5−1 ホタルの語源

 蛍、蛍火、ほたるの語は多くの古事の中に見られるが、蛍を「ホタル」と呼ぶようになった語源は、貝原益軒の著わした「大和本草ではほは火なり、たるは垂なり」といって火垂説をとっている。ホタルが尻に火を垂れているので火タレ虫、ヒタレ、ホタレ、ホタルとなったといわれている。
 また益軒後100年後に出た小野欄山著の本草紀聞や本草綱目啓蒙では「一説に星垂の意なり」といって星垂もあることを認めている。
 即ち、昔の人は、ホタルを火や星にたとえて、「火が垂れるように飛ぶ虫、ヒタレ」「星が流れるように飛ぶ虫、ホタレ」から、「ホタル」という名がついたようです。
 語源に秘められた意味はさておき、ホタル類は、数千万年前から地上に棲んでいた虫である。私たち日本人が感じるホタルのイメージは大変好ましいものと思われます。
 また、ゲンジという名前は、今から1000年前の「源氏物語」という物語の主人公の「光源氏」から、ヘイケという名前は、今から約800年前に源氏に負けた平家(平氏)からついたといわれています。

5−2 日本人とホタルの歴史(古事より)

 ホタル類は数千万年前から地上に棲んでいたと考えられるのに対し、人類は数万年前から次第に特徴を現して来たに過ぎない。したがって日本列島に住んだ太古の人々の人語のなかにもホタルに対するなんらかの呼名があったと想像はできる。そして、日本では、西暦720年の日本書紀に初めて文字として著されている。
   彼地多有螢火之光神や螢火 (ソノクニホタルヒノカガヤクカミサハニアリ)
その後、多くの書物にホタルが著されている。「新撰字鏡」「倭名類聚抄」「下学集」「八雲御抄」「日本釈名」「東雅」「大和本草」「重修本草綱目啓蒙」「蟲譜図説」「つれづれ草拾遺」「空穂物語」「伊勢物語」「大和物語」「源氏物語」「枕草子」「古今著聞集」「宇治拾遺物語」「今物語」「四季物語」「明日記」「牛馬問」「骨董集」「嬉遊笑覧」「など
その中の「日本釈名」の一説で、「螢 ほは火也 たるは垂也 垂は下へ下がりたるる也」と著してる。
即ち、日本では、
奈良時代の「日本書紀(720年頃)に、蛍の文字が登場しています。
平安時代になると「万葉集」や「源氏物語」で、蛍の文字が出てきます。蛍が水辺に住んで、光るものと記されている文献もありますので、この時代には蛍の存在が認識されていました。「枕草子」では季節について「夏は夜。月のころはさらなり、蛍の多くとびちがいたる」としるされており、夏の風物詩であったことがわかります。
江戸時代になると、浮世絵に蛍が飛ぶ情景や、庶民が蛍にふれる風景が描かれています。またわらべ唄でも唄われています。今でも唄われている「ほうほうほたるこい・・・・」も江戸時代のわらべ唄です。昔の明かりとりから、観賞としてうたに読まれています。その後、環境破壊によりホタルが減少し、今や環境復元によるホタルの復活が叫ばれています。


5−3 日本人とホタルのうた

1.和歌
あつめては国の光となりやせむ 吾か窓てらす夜はの蛍は    後亀山天皇
池の面は月にゆつりてあしの葉の しけみかくれて行く蛍かな  明治天皇
物おもえは沢の蛍もわか身より あくかれ出つる魂かとそ見る   和泉式部
はるる夜の星か川辺の蛍かも わか住む方のあまたのたく火か  藤原業平
漁火のうかへる影と見えつるは 波のよる知る蛍なりけり      権大納言行政
いさや其蛍の数は知らぬとも 玉江の芦の見えぬ葉そなき    源三位頼政
おしてるや難波堀江にくし玉の よるの光は蛍なりけり       中納言定家
月の夜はあらそひかねてむはたまの 闇そ蛍のひかりなりけり  御村上院
とまやかたてらす蛍は彦星の 妻むかへ舟こくかとそみる     重  仲
大井川星こそ波にうかひぬれ 蛍とひかふ夕闇のそら       (未詳)
浅沢の水のにこりに影うつる 雨夜の星のほたるなりけり      文  雄

 水辺に光りながら飛び交って夏の夜の美観をなす。腹端に複雑な発光器があって、熱を伴わない冷たい光である。いろいろの伝説を生んでいるが源三位頼政の怨霊とも言い、その忌日の陰暦5月26日には宇治に集まって戦いを挑み蛍合戦を行うなどと言い伝えている。
「夕されば蛍よりけに燃えゆれども 光見ねばやひとのつれなき」 紀友則(古今集)
「明けたてば蝉のをりはへ泣きくらし 夜は蛍の燃えこそわたれ」  未詳
「もの思えば沢の蛍もわが身より あくがれ出づる魂かとぞ見る」  和泉式部
 このように蛍を燃ゆる恋の思いにたとえて詠むことが多かった。だが「新古今」以降になると
「ほたる飛ぶ野沢に茂る芦の根の よなよな下にかよふ秋風」   藤原良経
「月うすき庭の真清水音澄みて みぎはの蛍かげみだるなり」   恒明親王
など叙景歌として多く詠まれた。

2.童謡













































「童謡」
・ ホー ホー ホタルこい あっちの水はにがいぞ
  こっちの水はあまいぞ 蓑きて笠きて 飛んでこい   (奈良県吉野郡)
・ ホー ホー ホタルこい あっちの水はにがいぞ
  こっちの水はあまいぞ ホー ホー ホタル来い    (神戸市)
・ 自然界で昆虫の数は実に多種類であるが、ホタルの童謡は全国にわたって、しかも
  昔から童謡で親しまれたのはホタルだけである。


3.俳句
1)形態では、
   昼見れば首筋赤き蛍かな      芭蕉
2)生態では
   草の葉を落つるより飛ぶ蛍かな
   呼ぶ声は絶えて蛍のさかりかな  丈草
      註、ゲンジボタルがいっせいに明滅するのは8時、12時、3時ごろの3回である
         蛍狩りのの呼び声が絶えた12時頃のさかりをうたっている。
   露よりもさきにこぼるる蛍かな    子規
     註、有名な句である。ホタルのかよわいとまり方とはかない命とを露にたとえている。
   名どころの蛍大きな光かな      子規
   蛍火の柳はなれてゆるやかに    虚子
   秋風に歩いて逃げる蛍かな     一茶
3)ホタル狩・ホタル籠では
   蛍よぶうしろにとまる蛍かな     一茶
   孫の手に引かれて出たり蛍狩   素明
   蛍籠よく光いる夜中かな       京童
   蛍見や船頭酔うておぼつかな   芭蕉
     註、相当大がかりであったことが推察できる。
   各各の紙袋持つ蛍狩        子規
4)蛍合戦では、
   和睦せよ石山蛍瀬田蛍       一茶
   宇治川で火花を散らす蛍かな   犬子
5)商売では
   土産店蛍も売っていたりけり    柑児
   闇の夜の桂男や蛍売り       太蕪
6)その他では
   蛍火にひかれて泳ぐかわづかな 花子
   蛍火に飛びつく魚や水の音    鐘昏
   きれ草鞋蛍とならば墨田川     一茶
   三の間の水は甘いか飛ぶ蛍   豊臣秀吉
     註、天下を平定して思い通りのことが出来た秀吉にも、ホタルまでは号令できない。
        それでも「三つの間」と詠んだあたりその豪華な生活がうかがわれる。
7)季語では
   蛍合戦・平家蛍・源氏蛍・姫蛍・宇治蛍・石山蛍・守山蛍・蛍狩・蛍見・蛍舟・蛍採・蛍籠・蛍売・蛍火・初蛍・朝の蛍・昼の蛍・夕蛍・宵蛍・雨の蛍・草蛍・大蛍・ほうたるなど


昔からホタルは絶好の題材であった。これらの句の中にホタル狩りを詠んだものがずいぶんあった。昔はホタル狩には老いも若き楽しく出かけたようだ。それもホタル船に乗って酒宴を張りつつ川を上下していたようだ。それほど昔はホタルが多かったことが思われる。
昔の人は自然の風物を心の底まで楽しんだことであろう。

5−4 日本人とホタル(以上のことから何が言えるか)・・・文化的考察

 自然の中で生きていた日本人にとって、ホタルは四季を彩る大切な風物詩であった。
特に水辺に飛ぶゲンジボタルは、その明滅間隔が2〜4秒であることが余韻を含んだものとなっており、日本人のホタルへの独特の感覚が作られたのではなかろうか。
 現代においてもホタルを見る日本人の顔は笑顔に包まれており、純粋な澄んだ心を生み出してくれる。
 僅か1〜2週間の短い期間であるが、梅・桜・アジサイ・ホタル・蝉と四季折々の風物詩として、切っても切れないものになっている。
海外のヒメボタルは、イルミネーションのようであり、ゲンジボタルやヘイケボタルと大きく異なる。また、少なくなった現代では、ホタルは郷愁を呼び起こし、日本人の自然心を呼び起こしてくれるものになっている。
 昔は、ホタルが多く、ホタル狩・ホタル合戦・船を使ったホタル見など楽しみ方もいろいろあったと思われる。また、蛍の光を使って観賞のみでなく実用にも供していたことが読み取れる。

5−5 外国人はどう感じるか

台湾
ヒメボタルの光シグナルによるコミュニケーションシステムは雌が一定のタイミングで雄に応答発光するもので、タイワンボタルも同じである。
台湾全土に普通に見られる。生息地はほとんどが林床の草地で、湿潤である。気温は20℃から25℃である。

中国
螢は、<小さな火>を示す?(ケイ)という文字によったもの。また、冠は松明の交叉をあらわす象形文字であり、松明のように光をめぐらす虫の意味である。
ホタルを説明した書物は紀元300年頃からある。

韓国
パパリボタルと言い、ヒメボタルと同じ発光パターンをとる。

マレーシア
ヒメボタルと同じ発光パターンのホタルが多く飛んでいる。観光用にも見られ、まるでイルミネーションのようであると見学者はいっている。

西洋
英名ファイアフライは、「火虫」の意。
ホタル類の幼虫および羽根の退化した雌のうち発光するものを英名グロウワームは、「白光を放つ蛆虫」の意。
仏名のヴェール・ルイサンは、「輝く虫」の意。
独名・蘭名・露名は、「光る甲虫」「光る虫」「輝く虫」の意。

5−6 ホタルの光で本が読めるか

 昔、未開の土地や燈火の貴重な時代では、ホタルの光は真面目に考慮されたものである。
 中国の晋の車胤(しゃいん)は今から1600年前の人であるが、極貧に生まれたが極めて学問が好きであった。灯火用の油を買うことができないので、ホタルを集めてその光で書物を読んだといわれている。その話は孫康(そんこう)が雪明りで読書をした話とともにあまりにも有名であり、「ホタルの光」の歌としていつまでもわれわれに教訓を垂れている。
 日本にもこれと同様な話が二宮尊徳についてもいわれており、彼はホタルを書斎の窓に吊るして燈火を節約するとともに心を慰めたという。
 守山のホタルの大家・南喜一郎氏は、ホタルの光で読書が出来るか試している。1籠に千匹のホタルを入れた籠2つの真ん中に新聞を置いた。充分に読むことができたといっている。また、停電のときに200匹入りのホタル籠でローソクを捜し歩き見つけることができたといってる。

 われわれも、以下のようにしてその実験を試みた。(P14参照)
日本庭園で、ペットボトルに5〜6匹のホタルを入れて、新聞を読んでみた。ホタルに照らされたところは、ぼんやりと読めることが分かった。数を数百匹に増やせばもっとはっきりと読み取れると思われる。

5−7 ホタルの光の物理的調査

【発光の謎】
 ホタルの光は発光物質ルシフェリン−酵素ルシフェラーゼATP(アデノシン3リン酸)、それに水中の溶存酸素によってオキシルシフェリンになる際に放たれる光である。この光は「冷光」といい熱をともなわない。即ち発光器の横に枝状に分岐した気管に空気が流れ込み、発光器にある酸化性の物質に酸化作用がおきるからである。
【なぜ光るのか】
 オスがメスを見つけ、オスがメスにプロポーズするために光る。

【ホタルと同じように光るものは】
夜の海で波を打つたびに光るウミホタル、駿河湾などの深海にすむ発光イカ、皇居のお堀にも生息するヒカリゴケ、小さなものでは発光細菌など


参考文献

「ホタルの研究」 南喜一郎著 サイエンティスト社 1983年5月25日発行

「ぼくもわたしもホタルと友だち」 神戸市       1991年3月発行

 「全国ホタル研究会誌」 全国ホタル研究会     2004年6月1日発行

「ホタルの飼い方と観察」 大場信義 著(ハート出版) 1993年7月8日

「ホタル 光のひみつ」 栗林 慧 著(あかね書房) 2004年3月発行

「姫螢一八九ヶ所プロジェクト 実践指南書ver.1.1」 兵庫県立人と自然の博物館

今給黎靖夫「ホタルの保護と生態系」:(2001年6月6日)
     ホタルの保護・育成にかかる研修会 講演資料

「ほたるの館」パンフレット 富山県八尾町

37回全国ホタル研究大会「全国ホタル研究会誌第37号」 2004年6月1日発行

NPO法人ホタルの会 「ホタルマップ」

インターネットホームページ「"日本にすむホタル"」

     "             "       「八重山のホタル」

  このレポート中の図「ゲンジボタルの生態サイクル」を作成するに当たり、参考にしたのは、「ぼくもわたしもホタルと友だち」 神戸市の<ゲンジボタルの生活史>、<ゲンジボタルのくらし>、「ほたるの館」パンフレットの<ゲンジボタルの一生>の各図に共通する全体構成を採用し、飛翔発光する成虫の姿、交尾する姿、産卵するメスの姿も各部をコピー貼り付けし、蛹の姿は「ホタル 光のひみつ」35頁の写真を、またカワニナを食べる幼虫の姿の一つは25頁の写真をコピー貼り付けしています。

 その他の幼虫の姿は私達で作図し、植物は写真と作図の合成によっています。